日本農業新聞 「ざっくばらん 農相回顧 中川昭一」(4月4日掲載)


(12)退任/責任果たせ充実感
《小泉内閣を引き継ぐ安倍内閣が2006年9月26日に発足。これに伴い、中川昭一氏は農相を退任し、自民党政調会長に就いた》
 私は、自民党総裁選挙で安倍晋三さんを支持した。でも、9月20日の総裁選当日はWTO(世界貿易機関)交渉対応で、オーストラリアのケアンズに出張だったので、不在者投票をして出掛けたんだ。
 私は、小泉内閣ができてから党の広報本部長、組織本部長、経産相とやってきたので、充電というか、もう少し勉強したいなと思っていた。ただ、安倍総理とはずっと勉強会をやってきた仲だから、何か政策面でお手伝いできればという気持ちではいた。
 そうしたら、政調会長をやってくれと。日曜日(9月24日)の夜11時ぐらいだったかな。その夜は自宅近くのすし屋さんで友だちと食事したりして、早く寝ていたんだ。そしたら、電話があって、女房に起こされてね。いや、正直言って、これは大変だなと思ったよ。得意分野もあるけど、知らない分野がいっぱいあるからね。
 《農相として激動の在任331日を終えた》
 後任は満を持しての松岡利勝さんだから、安心してお任せできた。全力投球でやっていく人だから。
 私自身は、2度目の農相を果たせたことに充実感がある。農水省はおやじ(故・中川一郎元農相)の時から縁がある役所で、好き勝手にやらせてもらった。しかも、石原葵事務次官、木下寛之農林水産審議官をはじめ、みんなよく支えてくれたなと感謝している。
 食料に関係しない国民はいない。だから、農水省の職員は全国民を視野に入れ、その中で農村・農業は重要で、国民の期待に応えたいという信念をみんな持っている。本当に思い切っていいチームでやれたなと思う。
 これは退任後のことだが、経営局長当時にがんで倒れた須賀田菊仁さんが亡くなったと聞いた時はショックだった。
 私が昭和58(1983)年12月に衆院議員に初当選した直後に、日ソ漁業交渉があったが、何も分からない。そこで、ある人に「ちょっと変わった事務官がいる」と紹介してもらったのが須賀田さんだった。それから20年以上の付き合いとなった。本当に頼りになった。何より、みんなに力を与える人だった。