1月11日久しぶりに地元の町の成人式に出席した。成人の日は「国民の祝日に関する法律」で、「大人になったことを自覚し、自ら生き抜こうとする青年を祝い、励ます」と規定されている。これだけでは何となく味気ない。
十年程前、成人式は荒れていた。ある知事が式典でしかりつけ、考古学者の吉村作治教授は「成人式で2度と話をしない」と書いている。私もかつて帯広市の成人式典に出席して、余りの騒乱と一部の身勝手さ、対照的に主催者は全く無関係に式次第を淡々と進めているのにア然としたことがある。
11日に出席した式典の新成人は64人。その家族、主催者、我々招待者を含めて150人程が出席した。今年からは平成生まれの人もいる。国家、町歌を斉唱し、新成人が先導して町民憲章を朗読し、町長が本音の式辞を述べ、我々が祝辞を語り、新成人代表が国旗に一礼した後、簡潔に決意表明して40分程度で終了した。その間、時々笑い声は聞こえるが、ざわついた雰囲気もなく、若者たちの顔は皆明るい。
その後、記念撮影。前列に正座した女性陣は数分後、足がしびれると言った。前日まで大雪だった。朝から振袖を着て帯がきつい、お腹が減った等々話している。記念撮影が終わり、二次会までの間、私は京都の大学へ行っている一家や、十数人のあでやかな女性たちと写真を撮った。やっと式典が終わった開放感から、皆笑顔が一層輝いていた。
私は20歳の時、浪人中で式典もなく、国語辞典が送られてきただけの「暗い成人式」だった。その後、荒れる成人式に失望し、かなり警戒して出席したが、失望が希望にかわった。純白、厳寒の町の若者達から、すがすがしさと元気をもらって車に乗った。彼らに感謝したい。