日本農業新聞 「ざっくばらん 農相回顧 中川昭一」(3月21日掲載)


(2)WTO交渉(1)主要少数国へ復帰
《農相に就任した当時、世界貿易機関(WTO)交渉は米国や欧州連合(EU)、ブラジル、インドなどが実質的に主導する枠組みができつつあり、日本がメーンプレーヤーとして交渉に参画できるか瀬戸際にあった》
 2004年7月のWTO交渉の枠組み合意の少し前かな。経産相時代にブリュッセルで、ラミーEU貿易担当委員と昼食をした時に、交渉を主導するフィップスと呼ばれていた主要少数5カ国・地域の話になったんだ。そこで、「おれたちが全部面倒を見てやる。日本の立場を代弁してやる」と言われてね。ゼーリック米国通商代表にも「任せておけ」と言われた。
 こっちからすれば冗談じゃない。日本は世界第2位の経済大国だ、世界一の食料純輸入国だと思う一方、日本もそこに入らなければまずいぞと。日本が外れていることに異議を唱え、日本の加入を働きかけた。
 経産相時代の05年4月の東アジア閣僚会合を皮切りに、非農産品市場アクセス(参入)について関係国の調整を主導した時に、米国とEUから礼を言われた。それを機に、「日本もできるぞ」と米・EUの閣僚や、個人的に親しかったオーストラリアのヴェイル貿易相に、フィップスへの日本加入の話を持ちかけたんだ。農業で立場の近いインドのナート商工相には「日本はインドを支持するよ」とか言いながらね。
 《こうした成果が実り、05年11月にロンドンで開かれた主要少数国会合に日本も初めて加わった》
 農相就任時に総理から「メーンプレーヤーの一員になれ」と言われていたから、メンバーとして出席して発言し、責任を果たすことに意味があった。「多様な農業の共存」を基本理念に、「攻めるところは攻める、譲るところは譲る」というのがスタンスだ。
 実は、この主要少数国会合に入ることは経産相時代に決まっていて、各国の閣僚には「(日本の)内閣改造で、残念ながら私は辞めるから、後はよろしく」と言い残していたんだ。そしたら、立場を変えて農相として参加することになったというわけだ。
 後で、ある友人に言われたことだが、「中川はニュイサンス・バリュー」だと。「あいつを仲間に入れておかないと、後でうるさいぞ」というニュアンスらしいけど、喜んで辞書で調べたら、もっととんでもない意味で驚いたね。