日本農業新聞 「ざっくばらん 農相回顧 中川昭一」(3月20日掲載)


(1)就任/まさかの再登板
《2005年9月の総選挙で自民党が圧勝。小泉純一郎首相は特別国会で懸案の郵政民営化法を成立させ、10月31日に第3次小泉改造内閣を発足。中川昭一氏が2期続けた経済産業相から、1998年以来の農相再登板となった》
 初めての農相就任時は、「1度は閣僚をやってみたい」「できれば農相を」との思いがかなって、無邪気に喜んだ。
 小泉内閣で03年に経済産業相になった時は意外だった。小泉総理もいろんなところで、「みんな意外だと思うだろう」と笑いながら言っておられた。中川は農林水産の専門家だけど、たぶん経済産業、エネルギーは素人だろうと。ですから、サプライズ人事だと私も思っていた。
 その経産相をまさか2期で2年もやろうとは思っていなかった。総理を5年やるというのはつくづく大変だと思いますが、私も結構くたびれた。それで、内閣改造ではお役御免で少しのんびり充電でもしようと思っていた。ところが、今度は農相をやってくれと。びっくりしたね。
 おやじ(故・中川一郎氏)が昭和52(1977)年に農相になった時は、福田赳夫総理から電話で、今度は君は「ノーだよ」と言われ、入閣は駄目だと思ったらしい。でも、「ノー」は農水の「農」だった。
 今回の私の場合はただ「官邸に来てくれ」と。記者だったか忘れたが、「どうも農水らしいですよ」と言われて、まさかと思った。官邸での就任記者会見の前に、待機室で、ある大臣が私と麻生太郎さんのところに来て、閣僚リストの紙の備考欄に「横すべりと書いてある」と冷やかされた。
 《小泉首相からは「攻めの農政」などの指示を受けた》
 小泉総理からはもちろん、いくつかの指示をもらいました。WTO(世界貿易機関)交渉を推進しろとか、力強い農業をつくれとか、攻めの農政をしろとか。バイオエネルギー推進、農産物のブランド化、輸出や知的財産権保護も。経産相時代には、(中国などが模造する海賊版で)知的財産権問題で苦労したから。だから結構、経産相をやって農相になったことは全然対立ではなくて、そこ(経産省)で新しい知識をずいぶん得て、農水省でもそれが応用できる。そういう意味では非常にラッキーだったね。
 《農相就任1カ月後、農林水産行政を進めるキャッチフレーズ「Do! our BEST」(ベストを尽くせ)を公表した》
 農相になって、さて何をやってやろうかと。もちろんWTO交渉とか、経営安定対策や農地・水・環境保全対策などの導入に向けた農政改革法案の国会提出とかいろいろあるけど、農政推進のキャッチフレーズを示したかった。
 経産相の時は「6E」を示した。エコノミー、エネルギー、EPA(経済連携協定)、エデュケーション(教育)、エンバイロンメント(環境)、エキスポ(博覧会)の頭文字だ。
 その農政版が「BEST」で、一晩寝ながら考えた。「B」はバイオテクノロジー、ブランド・知的財産権、「E」はEPA・WTO、エキスポート(輸出)、環境、教育、「S」はセーフティー(安全性)、ストロング(力強い)、「T」はチームワーク。B、S、Eのキーワードはすぐ浮かんだが、これだとBSE(牛海綿状脳症)になって困っちゃう。Tをくっ付ければ「BEST」(ベスト)だなと。それで、Tを必死に考えたんだ。