平成20年スタートにあたって

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 平成20年が明けました。年末、年始は相変わらず火災や遭難、悲惨・残忍な事件等の報道が多かった。
 そして、ニューヨーク、更にはいっそうひどく、東京のマーケットがスタートした。
20年前の日本の不動産バブル、90年代のアメリカ貯蓄組合(S&L)破綻、10年前のアジア通貨危機、そして6年前のアメリカ、エンロン破綻をミックスして更に複雑化した様な、ザブ・プライム・ローン問題と原油高がいよいよ深刻化している。(S・P・L問題については改めて考えますが、6年前エンロン問題の終盤で9・11が起きた。テロの危険も依然としてある。)
 「天気晴ろうなれど、波高し。視界不透明」
 平成20年を迎える私の年末年始を振り返ってみました。
この約一週間、元旦の皇居祝賀、地元帰りを除いては時間があったので、読書、初詣、ムンク展等々色々なことがたっぷりでき、また新年にあたって、色々考えさせられました。私がとっている新聞2紙は、1紙が朝5時頃、もう1紙が6時頃届きます。従って、元旦6時10分頃、まだ暗い中玄関に日の丸を掲げ、2紙を取って新年が明けました。
(もっとも、その2-3時間前まで、私の大晦日は続いていましたが)
 子供の頃はワクワクした元日新聞も、本体以外の「特集号」が何でこんなに多いのか、配達する人も大変だろうなと思いました。  

*最近Myニュースのコーナーに年末年始に読んだ本を掲載しています。

■初詣
 初詣出は2回行った。3日の東京・目黒の大鳥神社と、4日、地元の帯広神社だ。大鳥神社は、戦の神、大和武尊を祀る歴史ある神社で、家の近くにあり、堀江神司にお世話になっている。2001年11月WTO新ラウンドが、中東カタールのドーハでスタートすることになった。「9・11」の2ヵ月後という時で、とても嫌な気分だったが、出発前「お払い」をしていただいた。その後、経産大臣、農水大臣で交渉代表をしてきたが、6年以上日本がこの交渉でもっているのも、大鳥神社のご利益のおかげと信ずる。「厄を払い、運を開きたまへ」という祝詞が印象に残っている。
 帯広神社は、零下十数度ながら、快晴で身が引き締まった。若いが、しっかりしている大野神司が「世の中大変だが、いよいよ伊勢神宮の式年還宮の作業が始まる」とおっしゃった。両社で祈ったことは同じ。自分のこと、家族のこと、そして「温暖化で天気晴朗なれど、日本は波高し。日本の将来の視界は極めて不良」の安寧と発展。苦しい時に神頼みをしたが、政治家たるもの全力を賭して努力しなければ――――――――神前に誓った

■ムンク展
 5日、上野、国立西洋美術館に「ムンク展」を見に行った。
 ムンクは暗いので、好きではなったが、尊敬する青柳館長の「今度のムンク展は、従来のムンクのイメージを変える」とのお勧めで、クローズの前日、やっと間に合った。9時半、開館の少し前に着くと、数十人が既に並んでいた。私も10分程度入り口で待っていたが、そんなに寒くなく助かった。
 開館早々なのに、あっという間に人で埋まった。ゆっくり見たいので、少し距離をおいていると、当然私と絵の間に人の流れができる。背の高い人、丁度ポイントで止まる人。ムっとしかかるが、お互い様だ。それにしても、美術を鑑賞するのは一人に限る。説明はヘッドホーンが何回も親切に繰り返してくれる。
世の中、不安定、不満になると、テレビその他の空虚な馬鹿騒ぎと重苦しいムンク的芸術が両立繁栄するのかもしれない。
 第一次世界大戦敗戦後のドイツで、ワンダーフォーゲルとキャバレーが盛んになったように。
北欧ノルウェーで姉の死や重苦しい気候の中で育ったムンクは、パリでゴッホやゴーギャンにも学んだというから「曇天のゴーギャン」か。キリスト教と嫉妬、憂鬱、不安、絶望の人生観は、晩年多少変化した様だ。晩年、オスロ大学や市庁舎、チョコレート会社の壁を作るにあたっては、力強く労働および労働者をテーマに描くようになった。唯、構想はあるが、作るには老化しすぎてエネルギーがないと嘆く。あくまで最後まで暗い。
 今、人口は小さくても生活も経済も世界のトップクラスで元気一杯の北欧に生きていたら、どんな作品を生んだのかと空想する。
 西洋美術館での一時間半は、現実と非現実の両方を体験した不思議な刺激だった。
美術館(仏のコルビジュ設計)そのものを世界遺産に登録申請したそうだ。

■チューリップ
 太陽の下にいるのが好きだ。真夏は元より、真冬でも天気がよければ外に出たい。年始、チューリップとテニスで何回か太陽の下にいた。
 年末、富山からチューリップの球根を頂いた。植付時期は12月末までと書いてあったので、三が日に何とか植えつけた。6種各6個ずつ。既に使っていたプランターの土を戻し、新聞紙の上で乾かせて肥料を混ぜる。又、赤玉土も用意せよと指示しているので、赤玉土と培養土、そして追加のプランターを慌てて買った。
 もともと素人の上に、頭が文科系で子どもの頃、生物、園芸の授業はサボり。「好きだ」だけでは説明書が理解できないので、富山と帯広の専門家に電話で何回も聞いた。正月早々、迷惑なことだと思う。
やがて芽が出てきてきれいな花が咲くのを確信しながら適度な水遣りが欠かせない。
テニスもやった。昨年、回数も技術的進歩も全く不満だったので、新春早々いきなり満足結果が出るわけがない。朝晩、ダンベルとストレッチ等はやっているので体力的にはなんとかなったが、メモしてある十数か所のチェックポイントを一々カバーできる筈がない。
 往年の名選手も、同級生も友人たちは皆、憐れんで相手してくれたことは自分が一番よくわかる。
何より、身体がひどく痛かった。夜、息子に頼むと、強いマッサージや背中等にシップを何回も貼ってくれたのがうれしかった。
 私も父に頼まれてイヤイヤやったことがある。息子も同じだろうが、回数は私より遥かに多い。(もっとやっておけばよかったと思っている)。この点で息子は私を越えた。
いずれにしても、今年は「いざ!」に備えて、足腰を鍛えておかねばならない。

■テレビ
 年末年始はテレビを見る時間がどうしても長くなる。
時間的余裕と放送側が無理矢理視聴者を引っ張ろうとするからだ。私もテレビを見た。いや余り見なかった。感動する番組、勉強になる番組がある一方、公共電波の無駄使い、あるいは害悪を拡散するものもある。後者はもちろん見ない。
 私は、ニュース、スポーツ古今東西の歴史や自然、そして落語やうまい漫才等が好きだ。この時期「特番もの」が多いが、視聴率ベスト20で私が見たものは、箱根駅伝の一部のみだった。多くはひどすぎる。何も政治討論会や歌舞伎、能・狂言等をもっとやれと言っているのではない。新春の一家団らんの中に、下品かつ刺激的(害悪的)な画像や音(声らしきものも含め)が、侵略してくる。見なければいいのだが、視聴率とビジネスのために「刹那的オモシロサ」を無理矢理押し付ける。まあ、NHK以外は直接支払いをしていないが。勿論、大変面白かった放送もあった。
 ①元日のウィーン・フィル、ニューイヤー・オペラ・コンサート。ウィーンオペラの演奏者達が、ウィーン楽友協会で元日の昼、楽しく演奏する。今年も画面に内外の知人が写っていた。今年のテーマは、サッカー・ヨーロッパ・クラブ・チャンピオンシップと北京オリンピックを始めとする国際年。指揮者は仏人のプレートル氏。83才だが、エネルギッシュ、十数曲を全て楽譜でこなしていた。私も行ったことのある数々のすばらしい宮殿でのバレエやスペイン乗馬学校の馬のバレエ。ボールを回しながら、サッカー選手とレフェリーのバレエも面白かった。
 そしていよいよアンコール。指揮者が仏人だし、クラシックやオペラと無関係のサッカーは既に1回出た。何が出るかとワクワクしていると、2曲目に指揮者はボールを持って登場してきた。途端に、メンバーもオーストリアやサッカーチームのマフラーを首に巻く。曲は「スポーツ・ホルカ」演奏中、コンサート・マスターが突然立ち上がって、観客と何やら話し始めた。指揮者は怒って胸から「イエローカード」を出して示した。やがて、指揮者はホイッスルを吹いて曲を終えた。すると、マスターがやおら胸から「レッドカード」を出した。識者はすごすごと「退場」して行った。サッカー好きの息子と心底「初笑い」をした。画竜点晴を欠いたのは、日本人司会者と解説者がサッカーのことを全く知らず、トンチンカンなことを言っていた。
 ②3日の「古代ローマ1000年史」。ハンニバルとスキピオ、シーザー、ネロ、キリスト教等、王政・共和制・帝政の1000年。イタリアの映像と塩野七生氏のポイント解説で、あっという間の4時間半だった。辞典を開き、メモを取り、次の日の用意をし、妻と話しながらで忙しかったが、感動し、勉強になった。人は何故人を殺し、権力を握り、やりたいことをやろうとして必ず死んでいくのか。これはロムロスもシーザーもネロもハンニバルも皆同じだ。しかし、歴史の評価は大きく異なる。そして突然変化もする。色々考えさせられた。
 ①と同じで②でも日本人出演者の言動が番組を幻滅させた。家族団らんで見るのだからと思っても、本体とそれ以外を別番組にすればいいのにと思う。年末、芝田山部屋に行ったとき親方(元横綱大乃国)が言っていた。「餅は『つく』のであって『うつ』のではない。回しは『しめる』のであって『つける』のではない」似てて非なるものを混同することを許せない。
この年末年始は、本、初詣、ムンク展、チューリップ、テレビ等で刺激され、前途多難の一年に思いを馳せながら、たまった「燃えるゴミ」袋を道端に出して通常の仕事がスタートした。