最近読んだ本(2月28日)『ウォータービジネス』 中村靖彦 岩波新書


 著者は長くNHKで農業問題を中心に活躍したジャーナリスト。
私も最初の農林水産大臣当時「農業基本法」を廃止して「食料、農業、農村基本法」を作る改革を行った時をはじめ、随分お世話になった。
 私が水問題に関心を持った端緒は、2003年3月16日、関西での「第3回世界水フォーラム」の皇太子殿下の記念御講演録を、その数ヶ月後に読んだ時だった。殿下は水問題が御専門で、オックスフォード御留学中の研究テーマは「18世紀テムズ川の運河について」であった。25年前から水問題という生活・社会問題に御関心があったと言うことだ。殿下はその後、2006年3月17日のメキシコでの第4回でも基調講演をされていらっしゃる。
 本書の初版は2004年2月だから、中村さんもひょっとしたら同じ頃、水に関心を持ったのかもしれない。日本で水の関心が広く高まるきっかけは「第3回水フォーラム」だと思う。私は以来多くの水の専門家にお会いしているが、数十年間研究されている方から若い研究者まで、「水文学」から「水危機学」まで世界視野での専門家人材が日本にたくさんいることを誇りに思うようになっている。

 本書はNHK解説委員だった著者だけに、非常にわかり易く、生物学や物理学、化学、水文学等の学問、研究的視野ではなく、現に今発生している地球や人の水の問題を視座にしている。日本の水資源争奪戦、アメリカの飲用・農業用水ビジネス等の水トラブル、中国の絶望的な水事情と必死の対策、世界的水企業(日本は研究や技術、国際貢献はトップだが、残念ながら水ビジネスは一部を除き、極めて弱い)等を記述している。
 特に、日本においては、水は「あたり前の無尽蔵の存在」「殆どタダ」と考えられていたが、水が財となり価値を生み、有限になり、奪い合いになるとすさまじいビジネスと競争が発生する。国際河川(幸い日本は無関係だが)が戦争を起こし、経済発展が水の量的、質的問題を生む。貧しい人、弱い人の悲劇は益々増大する。
 本書を読んで興味深いのは「水は誰のものか―権利関係」「水のコストはどう計算し、誰が払うか」の基本問題だ。各国で異なる。単純に言えば、近代的法制度が確立する前の自然的水権利が先行・確立した日本や欧州等と、建国と水法制の確立がほぼ一致する新大陸、公物と私権、上流と下流、地表水と地下水、農業、企業、個人の権利関係等、水をめぐる法的興味は深まるが、法学生時代のエネルギーがないので、これ以上のめり込まない方が自分の健康のためだと納得している。
 いずれにしても、水は「なくしては生きていけないもの」「代替不可能なもの」「有限なもの」「偏在しているもの」「将来はますます不安になるもの」。

 私は個人的勉強会に加えて、昨年から自民党に「水の安全保障に関する特命委員会」を立ち上げた。水の問題だから毎週水曜日朝8時から、毎回30-40人の議員が参加して熱心にやっている。かなりのハード・スケジュールだが、水危機に一刻の猶予もない。7月7日の「北海道洞爺湖サミット」に間に合う様に提案を作りたい。
 日本も南北に細長いから、水の硬度も多様だ。西の方は硬度200から300を超える硬水地帯、東京は50。私の地元帯広は硬度15の超軟水地帯(私はガスなしの軟水が好きだ)。
 本日最後の会合で飲んだ水がおいしかったので、一本もらってそれを飲みながら本文を書いている。ラベルには「カナダ ブリティッシュ・コロンビアの標高4500mの氷河の自然水・超軟水」と書いている。硬度は何と1.18!
 こうなると「ミネラル・ウォーター」という名称は必ずしも正確ではなく、「自然純水」と言うべきか。
 午前1時を回り眠たくなってきたが、この水で本日最後の一頑張りで本文を書き終えることができた。おいしい(そして安全な)水に改めて感謝。おやすみなさい。