夕刊フジ連載コラム「中川昭一の言わせてもらおう」(3月28日掲載)


「チベット『自由』への願い」
「半世紀も異質なもの押し付けられた憤り」
「中国の武力弾圧に大きな違和感」
 世界中に散らばるチベット人にとって3月10日は忘れられない日だ。1959年のこの日、チベットのラサで中国共産党の支配に反対する人々が蜂起した。中国政府は徹底的な武力弾圧を行い、ダライ・ラマ14世は亡命せざるを得なくなり、十数万人もの難民が発生した。
 毎年この日は世界各地で抗議デモが行われている。49年目にあたる今年は規模が大きかったといい、中国政府も神経質になっていたようだが、今回、ラサなどで起きた悲劇は惨いものだった。
 中国政府筋は「10数人死亡」としているが、「犠牲者は100人以上」という深刻極まる報道もある。
 そもそも、中国政府は「暴動」と主張しているが、何の武器も持たない人々のデモと、装甲車や軍用車両まで投入した軍・警察による武力弾圧の非対称性には大きな違和感を覚える。
 騒乱発生後、中国政府はチベットへの外国メディアや外国監視団の立ち入りを禁止し、テレビやインターネット、電話などを一部遮断した。厳しい情報統制下では、現地の正確な状況を把握することも難しい。
 私のチベット人の知人によると、2006年に「青蔵鉄道」が開通して以来、漢民族の入植者が激増している半面、チベットの天然資源や貴重な文化的資産が次々に運び出されているという。
 世界的に人権意識が高まる中、半世紀も異質なものを押し付けられたチベット人の憤りを考えると、とても隣人として看過できない。
 今年8月には北京五輪が開催される。私も「平和と自由の祭典」である五輪の成功を祈っているが、歴史的に見ると、五輪はその時代の国際情勢に大きく影響されてきた。
 ドイツの首都ベルリンは1916年の開催都市に決まっていたが、第1次世界大戦のため中止となった。東京も1940年の開催都市だったが、第2次世界大戦のために返上に追い込まれた。
 ベルリンは1936年に念願の五輪を開催したが、9年後にナチスドイツは崩壊した。1980年にはモスクワ五輪が開かれたが、11年後にソ連邦は消滅した。
 国家は人によって成り立っている。そこで暮らす人々の意思を無視した武力支配は平和的安定をもたらさず、国際的な評価も信用も得られない。チベット人の「自由」と「自治」を求める気持ちは一致している。中国政府の賢明な対応を見守りたい。