最近読んだ本(10月19日)『社会を映す川 災害多発時代の自然・技術・文化』 高橋裕 山海堂


■『社会を映す川 災害多発時代の自然・技術・文化』 高橋裕 山海堂
 著者は河川工学、水文学の権威で、私の「水」の先生。水の文明、人間の歴史は水の恩恵、水との戦いの歴史。特にアジア・モンスーン地帯の日本は、多雨が一気に海へ流れ込む地形で、洪水と渇水を繰り返す。いかに、水の滞留時間を長くするか。そして水田にいかにうまく川を引くか。古来、日本にはたくさんの治水事業家が出た。
武田信玄(信玄堤)、加藤清正、佐賀・成富兵庫、徳川家康(江戸の運河網、地下水道)、二宮金次郎、都築弥厚(明治用水建設の為、私財を投げ打った)、八田與一(台湾の農地開発の為、ダム、かんがい用水路等をゼロから作った)、青山士(パナマ運河建設に従事)等々。
又、先人達の知恵、溜池(現在も全国に22万ある)、遊水地、霞堤、二番堤、蛇籠(石をつめた籠の堤防)、枝がらみ(強じんな枝を束ねて、川の基礎を作る。世の中の“しがらみ”の語源)、水田、休耕田。
水の力は常に人間の力を超える。そして、自然災害は常に弱者に厳しい。著者は、防災教養の欠如に警鐘を鳴らす。上下流の天気の違い、漂流物の様子、時間差といった知識、ハザードマップ等について。科学技術の進歩、特に明治以降、治水、水運、水利用等が発達すると、益々、力づくで水をコントロールしようとした。しかし、著者はそれ一辺倒でいいのかと疑問を持つ。高度経済成長とともに、公害、環境問題やダム建設問題が大きくなる。
世界的なダム問題のきっかけの記述が興味深い。著者によると、エジプトのナセル大統領がアスワン・ハイダムを計画する。当初、アメリカの支援で始まったが、米ソ冷戦下、反米・非同盟のナセルにアメリカが激怒。支援を打ち切り、専門家がダムは環境上問題だというレポートを続々発表する。国際機関も追随する。ちなみに、アメリカは中国に次ぐ、世界の14%、5万のダムを持ち、建設中もあった。
これが、日本にも伝わり、ダム建設が社会的大問題となり、現在も続いている。著者は、ダムは最小限必要だが、地域住民の理解や自然体系の充分な配慮が前提だと力説する。
今や誰もが「地球温暖化の危機」に対する認識を持っている。大気中CO2濃度の上昇(このまま進むと、生物が生息できなくなると西沢潤一氏は警告する)、従来予想を超える洪水と渇水。海面上昇。バイオ燃料への評価と水問題・・・・・。
環境・生態系の激変。食料・水・資源・エネルギー等、人間の基礎的物質の連鎖。私に少なくとも理解できるのは、科学万能型治水型から、自然や水との共存共栄型への転換。時間はもうない。
本書は水文学(すいもんがく)のエッセー集だから、専門的知識よりも社会論、文明論、教育論に力点が置かれている。
徳川家康を源とする日本橋の上の高速道路の景観を憂う(同感)。日本人は五感を大切にし、自然と景観を大切にしてきたのに、と嘆く。浮世絵の「形のない雨」。雨ははかなさ、不安定さの象徴。霧、霞、雷、露等々。香り(本書で「追風用意」という言葉を初めて知った。古くから女性は和服に香を含ませて行きかう人に香りを贈る)
教育についても鋭い。土木は文化事業であり、土木史学は大事である。学問においてもジェネラリスト育成が大事で専門分化はダメ。技術者教育軽視を嘆く。
国語教育に怒る。人に伝えるだけの国語教育(今はそれすら危ない)はダメ。国語教育は戦前の1/3。目、耳、口は小学校1年で教えるが、鼻は3年。夕は1年で朝は2年!カタカナ氾濫を憂う。漢字から創案した万葉仮名、平仮名、片仮名それぞれに意味があるのに。
歴史についても厳しい。傲慢。思い上がり、情報秘匿の戦前の苦い歴史の経験を生かせず、各国に比べ、反日教育のひどさを実感する。
専門分野を極めて行く上でジェネラリストになられたのか、元々ジェネラリストの肥沃な大地に水文学の権威という花が咲いたのかは知らないが、物静かな中に、情熱のエネルギーを著者が持っていることを知る私は、本書を通じても大先輩から、こんこんと諭されているような気分で読み終えた。水危機時代の水・日本人文化論。