著者は、台湾人で初めて、そして初めて民主選挙で選ばれた総統。私も、世界に直接存じ上げる新旧の国家的指導者がいるが、この方は別格だ。
台湾人だからと言うのではなく、日本のことを極めてよく知り、日本が好きで、「日本よしっかりしてくれよ」と常に言い続けている指導者だからだ。
我が家の床の間には「真實自然」という力強く明確な著者の書が飾ってある。子供が生まれた時には、名を書にしていただいた。
この方にお会いするのは楽しいが、疲労する。長時間になるし、日本語で日本や台湾の政治や経済、農業(著者は京都帝国大学農学部卒業の専門家)等のお話までは大丈夫だが、これらとキリスト教、論語、日本や西洋の哲学や経倫が混在一体に話されるので、ついて行くのに苦労する。つまり、この世代の方々が若い頃身につけた「教養」と私との間に圧倒的違いがあるのだ。
本書においても、自身が行ってきたことの解説が、旧約聖書、論語、西洋のカーライル、ゲーテ、マルクス等、日本の菅原道真、上杉鷹山、鈴木大拙、西田幾多郎、新渡戸稲造等々、古今東西、縦横無尽に広がっている。
著者は日本統治下の台湾で生まれ、激しい性格を親にチェックされながら育ち、日本的教育の後、京都で高等教育を受け、敗戦後、マルクス主義やアメリカ的合理主義へ向かうが、やがて台湾の原点に戻る。人は皆そうだが、著者も随分悩み、考えぬいたことだろう。
自らの経験をいくつか表すと、指導者は絶対に「知らない」と言ってはならない。「カリスマ」とは幻想上の砂上の権力。君主は船、人民は水。水は船を浮かべることも転覆させることもできる。経済発展には初期条件、目標設定、戦略を誤ってはならない。準備、情報、危機における平静心(96年初の総統選挙の時、中国はミサイルを発射して威嚇、99年台湾大地震。)リーダーの忍耐力(97年アジア通貨危機)。民主主義とは「急がば回れ」。日本についても言及している。日本の政治家は余りに礼儀正しく、細かいことにこだわりすぎる。日本の学者も「勉強のための勉強」に終わっている。日本を良くしたいという信念で社会に問いかけるべきだ。
台湾の将来は大変だと思いがちだが、「移民社会の台湾ではアイデンティティーが極めて重要だが、民主主義がしっかり機能していれば大丈夫だ」と楽観している。
本書は読みやすく、元気になるが、政治家の一人として極めて重く考えなければならない。そして日本向の出版だと思うが、台湾総統選挙(3月22日)の直前に出版されたのは何か別の意味が込められているのだろうか。