(4)WTO交渉(3)/香港会議で奮闘
《世界貿易機関(WTO)閣僚会議が2005年12月13日から香港で始まった》
初日から議長主催の少数国協議が日をまたいで行われた。中盤からは翌日の午前中までという徹夜の協議が3日も続いた。農産物の輸出補助金で、欧州連合(EU)が米国やブラジルなどから集中攻撃を受けた。貿易担当のマンデルソン委員と農業担当のボエル委員は相当つらかったと思うよ。
日本とすれば、農業交渉の「野心の水準」(目標レベル)を高めたくないから、時々「EUの立場を理解すべきだ」と言って援護もしたが、EUは結局、13年の輸出補助金撤廃をのまされた。
後発途上国(LDC)向けの無税・無枠では、EUが「武器以外はすべてだ」と言って、日本とカナダ、米国が矢面に立たされた。日本は開発パッケージで、品目ベースで98・1%までやると説明したが、米国は「日本まではついていけない」ともらしていた。複雑化して、97%で決着したんだ。
余談だけど、徹夜続きでみんなくたびれ果てた。二階俊博経産相が地元の南高梅を持って来てて、私ももらって頑張っていたら、EUのマンデルソン、ボエル両氏やインドネシアのマリさん(商業相)たちが「くれ」と言うんだ。食べたら、「これは目が覚める」と酸っぱさに飛び上がっていた。梅干し外交だったな。
《最終日(18日)に採択された閣僚宣言は、モダリティー(保護削減の基準)を4月末に、関税率の国別約束表(譲許表)案の提出時期を7月末に決めた》
最終日前日の夜に、WTOのラミー事務局長と主要6カ国・地域(G6)の閣僚で会った。閣僚会合後の日程はそれまで議題になっていなかったんだが、G6で「米国の中間選挙が秋にあるから4月と7月をめどにしようじゃないか」となったんだ。
閣僚宣言の第24段落(パラグラフ24)には、鉱工業品と農産物の市場開放の程度を同等にしようとある。私は全体のバランスが大事との立場だったが、「農業がラウンドの機関車だ」という意見に途上国がこだわっていた。
日本が懸念した農産物の上限関税の文言は宣言本体にはなく、日本から見れば総じてうまくいったんじゃないかな。開発パッケージを徹底的に説明した成果だと思うよ。